2009年12月17日

浅草寺で羽子板市、始まる

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○今年は出店が地味かなあ
 今日、17日から、浅草の浅草寺で羽子板市が始まりましたよ。

 銀座に出かけた帰り、ちょいと寄ってまいりました。
 余談ながら、銀座では、ミキモトのクリスマスツリーに人だかり。
 夕刻の街のあちこちで、クリスマスのイルミネーションが光を放っていました。
 その上、道行く人たちの中には中国人がとても多く、欧米系の人たちもいつになくよく見かけるもので、まるで外国にいるような気がしたものです。


 ところが浅草に戻ってみれば、こちらは昔ながらの羽子板市。
 やっぱ、いいねえ。
 師走はこうでなくっちゃ、なんちゃって。

 ただし、出店ががっくり減っているのには驚きました。
 キッタンが若かりし頃には、境内狭しとばかりに店が並び、さらに仲見世の方までせり出していたものですが、今年はぐるっと見回るのに10分とかからない小規模さ。
 羽子板の店だけでなく、食べ物の店もやけに少ないのです。

 やはり不景気の影響ですか(そういや、羽子板を買っている人も、持っている人も見かけなかった)。
 それとも、羽子板を購入する人が減っているため、羽子板屋そのものが減ってしまったのでしょうか。
 何だか、さみしい気がいたします。


 それはそれとして。


○かわり羽子板、いろいろありました

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 世相を反映した羽子板も、この市の毎年の呼びものの一つでありまして、今年もいろいろ出ていました。
 目に留ったのは、世界中の涙を誘ったマイケル・ジャクソン、来年の大河ドラマの主人公、”福山”竜馬や、野村監督(背中を向けてました)、ガンダムなど。


 ガンダムはすでに売却済みでしたが、店頭には飾ってあり、多分、あす以降も見物できると思います。
 かなり大きな板で、なかなかリアル。
 購入者のお名前が貼ってあったので、写真を載せるのを控えさせていただきました。
 興味のある方は、ぜひ、現地でご覧あれ。


 目に新鮮だったのは、東京芸大デザイン学科の学生たちが制作した羽子板。
 
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 羽子板が顔や姿をモチーフに作られるのであれば、これも大いにありか。
 なかなかおもしろいアイデアです。



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一方で、抽象に徹した作品もありました(それとも、これも何かの顔?)。
 ポップで鮮やかで、個人的には金賞モノ。
 
 ところで、学生さんたちは道行く人に声をかけてはいるんだけど、ちーと元気が足りないぞー。
 もっと自分たちの作品に自信をもって大きな声で宣伝してくださいよー。
 じゃないと、何をやっているのか伝わってこないぞー。
 

 
 他に、漫画家さんが似顔絵を羽子板に描いてくれるコーナーや、子ど無のお絵かき羽子板のコーナーなんてのもあり。
 

 浅草の羽子板市は19日(土)まで。


 再び余談ながら、久々に本堂でおみくじを引きましたところ、そんなまさかの凶が出ました。
 いやはや、来年が思いやられますなあ。
 82番、要注意です(って、番号までバラしていいんだろうか)。
 
 さて、仕事、仕事。
 
 来週はクリスマスですね。
 このブログを見てくださっている方、
 いつも

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 merci bien,

  et

     joyeux noel!
 


 
posted by ゆのじ at 20:30| Comment(2) | TrackBack(0) | 墨田区&下町歳時記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年12月07日

菜園オールスターズ131/パイナップル・セージが花盛り!!

○パイナップル・セージはおしゃべり屋さん?


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 「ねえねえ、あそこにいるの、○×さんじゃない?」
  「どれどれ? あら、ほんと。一緒にいるの、誰かしら」
   ヒソヒソヒソ…

 ――そんな噂話をしているように見えません? この花たち。



  我らが菜園のパイナップル・セージ、ただいまセイシュン真っ盛りです。 

  パイン・セージと呼んでいたのですが、正式名称はパイナップル・セージでしたね。


 
 これ、たしか昨年の秋ごろ、購入したような(おトキさんが買ったので、よく覚えてません)。


 ほんの数輪咲いただけで、以後、ずーーーっと葉の時期ばかり続いていたものですから、花が少ない品種なんだろう、あるいはこの菜園の気候に合わないのだろうと思いこんでおりました。

 ところが、菜園で景気よく夏の花を咲かせていた住民たちが次第に華やかさを失っていくのと反比例するかのように、パイン・セージが咲き始めまして。

 しかも、一つの茎で終わるかと高をくくっていると、あとからあとから花芽をつけた茎が伸びてきて、12月の今なお、小さい花芽の群れが、デビューを控えてひしめいています。


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○パイナップル・セージとは?

 いったい、パイン・セージってのは、どんな性質をもっているのかしらん。

 それで、インターネットでちょこっと調べてみました。
 以下は「365花撰」、毎日jpの「四季のガーデニング」のそれぞれのパイナップル・セージのサイトその他を参考ににしたものです。

 植物名:パイナップルセージ(Pineapple Sage)
 学名:Salvia elegans
科・属:シソ科サルビア属
 分類:低木
 原産地:メキシコ
 花の時期:10〜11月(サイトによっては9月〜と記載するところもあり)

 秋の花だったのか。
 どおりで、ずっと葉ばかりだったわけだ。

 その名前の通り、葉にパイナップルの香りがあり、触ると甘い香りが広がります。
 
 ということは、このセージよりもパイナップルという果物のほうが先に世間に流布していたことになりますね。
 つまりは、原生していた植物ではなく、人間によって開発された品種なのでしょう。

 町のスーパーで売っている温室育ちのパイナップルよりも、はるかにパイナップルらしい香りがしているかもしれません。
 ハーブとして使えるのは葉だそうです。
 

○いろいろな表情、お楽しみあれ

 チェリー・セージ、メドウ・セージ、フォッグ・セージ、ピナフォアなど、花弁の下半分がエプロン(ピナフォア)のようになっているのは、セージの共通点ですか。

 どのセージもそれぞれ花の形に愛嬌がありますが、中でも花の一つ一つがユーモラスなしぐさ、表情をもっているように見えるのが、パイナップル・セージではないでしょうか。
 
 そこで、わが菜園のユニークな仲間をちょいと御披露。


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  わが屋上菜園のパイン・セージ一家の中にあって、端正でクールな 一匹オオカミ的存在を発見。

  こういう角ばった姿をしている花は珍しいですね。













 こちらは男女、大人子どもを問わぬ混成合唱団の趣。
 中央で、両の手を組み、ひときわ大声を張り上げている(かに見える)のはソプラノ担当のソロ歌手かな。

 
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 何の歌を歌っているのでしょう。
 キッタンには讃美歌が聞こえてきましたが、みなさんにはどんな歌が聞こえてきましたか?
 (いえいえ、幻聴って意味じゃありませんよ)
 








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 ちょいと恰幅のよい手前の花は、どこぞへお参りに来た御大家の御隠居ばあさんのよう。
 後ろに従えているのは小僧さんか、お孫さんか。
 
 









 そしてこちらは、年末商戦に向けていち早く店頭で呼び込みを始めた大阪商人たち。
 揉み手して、「まいど、おおきに」

 あるいはアメ横の威勢のよいおにいさんたちか。
 「さあ、いらっしゃいいらっしゃい、数の子が安いよ!」
 「エーイ、面倒だ。2箱一緒に持ってけぃ!」
 とかなんとか。
 キッタン的には、酒瓶(もち、中身入り)をオマケにつけてくれるほうがありがたいんだけどなあ。

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 パイナップル・セージの場合、花穂が直立しないのが特徴だそうですが、こんなに姿勢を正したのがいました。
 進化したのでしょうか?
 
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 残念でした。
 たくさん咲いた花の重みに耐えられなくてか、それとも習性か、茎自体がかなり前傾しており、そのせいで直立しているように見えるのです。

 置かれた状況が変わると、本人は変わっていないのに、周りからは変化したと見られることがあるもの。
 このパイナップル・セージも、その典型でしょうか。









 
 いよいよラスト。
 まるで悟りを開いた仙人か(黄色いおしべが爺さんの眉毛のようでしょ?)、雲の彼方にまします観音様か。
 そんな神々しさ漂うのが、このパインさん。

 思わず合掌。
 


 パイナップル・セージは、秋から冬にかけて、さびしくなりつつある菜園を彩ってくれる頼もしい存在だと、今年になって知りました。

 で、来年の春には株分けか挿し木して、あと一鉢か二鉢、増やしたいと思っているのですが、セージって案外と、増やすのが難しいですからねえ、どうなりますことやら。
 
 
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さて、キッタンは、これから洗濯物の取り込み。
 生ごみたい肥をつくるはずが、今日もできなかったぁ。
(実は今、生ごみたい肥ふくりにトライしているんですが・・・)


 










 


 
 

 

 



posted by ゆのじ at 15:45| Comment(0) | TrackBack(0) | 屋上菜園記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年12月03日

下町のおみくじ&御利益/小網神社&長國寺

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○まずは火打石で身を清め・・・

 「いってきま〜〜〜す」
 朝、階下でおトキさんの声がすると、「あいよッ」と一つ返事でキッタン、あわてて階段を駆け下ります。
 出かけるおトキさんに火打ち石をカチカチカチっ。
 ぱっと線香花火のような細い火花が散り、
 「出たよ! いってらっしゃい!」
  そして、めでたく朝の儀式が終わるのであります。
 


 め組の棟梁でもないおトキさんを火打石で見送るのは、最近のキッタンの日課になりつつありまして。
 
 フリーランスのお気楽なキッタンと違って、会社勤めのおトキさんにとって毎日の勤務は、火の粉をくぐるに等しい修羅場の連続。
 
 それというのも、社員が一人減ってお仕事量が増えているうえに、とーっても自己チューな先輩が1名いらっしゃいまして、「あたし、これやりたくなーい」と言ってはおトキさんに仕事をどどっとおっかぶせ、定時でさっさとお帰りになってしまうのだそうで。

 この先輩のアンビリーバブルな行状については書きたいことがゴマンとあるんだけど、今日はやめておきまして。

 ともかく、そんなてんこ盛りの仕事に大わらわの1日を、おトキさんが無事に乗り越えられますようにとの祈りを込め、毎朝、カチカチやることになったわけなのです。


 この火打石は800円。
 江戸通りを浅草から蔵前に向かって散策する道すがら、おトキさんが左側に並ぶおもちゃ問屋の店頭で見つけたのでした。

 御利益とかおまじないとかお守りとかいったものに対してややカイギシュギ的なキッタン(「ひねくれてるだけ」とのウワサもあり)は、縁起担ぎ絡みのものに出くわすとたいていの場合、ふふんと鼻で笑って却下してしまうのですが、おトキさんは何につてけても好奇心旺盛で、「おもしろい!」と感じれば、その気持ちに素直になって即購入いたします。

 この火打石にもビビッと来たらしく、一瞬はキッタンにバカにされそうだよなあと躊躇の気配を見せたものの、しっかとお買い上げ。

 ですが、あとで説明書(写真のピンク色の紙)を読んでみたら、これがなかなか面白いのですねえ。


 かいつまんで引用させていただきますと――。
 
 もともと、火打石とはその名の通り、火を生み出すための道具。
 この火打石のように、勾玉のような金属片を石の角に打ち付けて発火させる方法は”衝撃法”と呼ばれるそうです。
 なるほど、たしかに、衝撃で火をおこしているよなあ。

 木と木をこすり合わせて発火させる”摩擦法”に次いで古くから行われており(でも、衝撃も一種の摩擦ではなかろうか。違うのかしらん)、日本では『古事記』や『日本書紀』のヤマトタケルノミコトの東征物語にも出てくるとか。
 
 御浄具としては、
 〈神社の神祭などで、きねとうすを用いて火をきり出し、これを清浄な火「きり火」として仕様したものが簡略化され、火打石と火打金を打ち合わせ、人や物に火を打ちかけて、これを清浄するようになりました〉←〈〉内はすべて説明書より引用

 とのこと。
 外出時に無事を祈って火打石を打つ習慣は現在も、花柳界、芸能界、芸術家、勝負事に関係する人、危険な仕事に携わる人の間では健在だといいます。

 
 というわけで、今朝も「いってきま〜〜す」の声がするや、階段をダダダと駆け下りたキッタンは、「あいよっ」と返事してカチカチカチ。
 キッタンにとっては、何回で火花が散るかが毎朝の楽しみになっておます。
 今朝は3回目だったかなあ。



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○小網神社の繭玉のおみくじ

 おみくじの話をするはずが、前振りが長くなってしまいました。

 これは人形町の小網神社で売っている繭玉のおみくじ、300円也。
 11月27日に同神社で「どぶろく祭り」というのがありまして、それに行ったついでに買ってまいりました。

 おいおい、おまじないやお守り、縁起担ぎにカイギシュギ的なくせに、おみくじは買うのかよ? と、突っ込まれてしまいそうですね。

 そうなんです。
 おみくじは買うんです。
 キッタン、一昨年ぐらいからおみくじ集めに凝っているんです。
 大量生産のおみくじを、ついで程度に置いている神社仏閣が少なくありませんが、一方で独自の工夫をしているところもあり、一体どれぐらいのバラエティがあるか、ちょいと調べてみようと思い立ったわけなのですね。

 で、集めてみると、大本山成田山や、薬研堀不動尊はおみくじの用紙も内容もオリジナル、深川不動尊には天然貴石入幸福みくじ、開運招福お守入おみくじなんてのがあり(これは他でも見受けた)――てな具合に、面白いものがあります。

 ザンネンながら、最近は取材帰りにひょいとどこぞに立ち寄るなどという時間の余裕がなく、この目論見、頓挫しておりますが、小網神社で昨年に続いて繭玉おみくじを購入して、おみくじ蒐集の意欲、再燃。
 来年はもう少し広範囲に集めてみようかと(公言しないとすぐ他のことに気移りしちゃうもんで)。

 またもや話が脱線。

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 付け加えますと、小網神社の「どぶろく祭り」では、おいしいどぶろくが振る舞われます。
 ただし、病院で薬を飲むときに出てくるような小さい小さい紙コップに1杯。 この日、キッタンは行きに電車賃170円也をかけましたから(帰りは徒歩)、1杯170円てことになりますね。もちろん、それに十分値するお味でした。ただし、呑ん平としては、もう少しいただけるとありがたいかなあ。



 
○「大上吉」なんてものがあるの、
知らなかった!



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 この世に「大上吉」なんていう恐れ多いおみくじのランクがあることを、御存じでしたでしょうか。
 キッタンは人生50年と1歳を生きてきて、初めて知りました。
 写真は、さる11月12日の一の酉に出かけた際に、浅草の長國寺(別名:鷲妙見)でいただいたもの。


 この鷲妙見では、毎年、酉の市のときには特設おみくじコーナーが出来まして、お坊さんがお経(とおぼしきもの)を唱えつつ自らおみくじの八角箱を振って、番号を出してくださいます。
 おみくじの欲しい人は100円を置いて、目の前のお坊さんが振り出す番号を恭しく待つのであります。

 昨年まではやや細面のお坊さんが担当し、えいやとばかり番号を振り出してくださいましたが、今年は少し若く体格よいお坊さんで、お経の声も勇ましく。

 そしてキッタンがいただいたのが、番号にして第一番、「大上吉」と書かれたお守りでした。

 その下の右側には、明朝体の「妙法蓮華」の文字。
 「諸の経文中の最王位とも云ふべき法華経の第一を得たる者で、実に此上もなきありがたきものとす」
 と記載されております。

 カイギシュギ的とは言っても自分のよいものはありがたく受け入れるキッタンは、「大上吉」という未知のランクに懐疑的になるよりも先に、思わずほほが緩むのを感じました。
 だって「此上もなきありがたきものとす」ですよ。
 あたしってー、めっちゃラッキーなんじゃない?

 しかし、読み進めると以下のような但し書きが。
 曰く、
 
 「此みくじを得たる人は大上吉には相違なきも直に以て喜ぶ勿れ身分優れて徳望ある人は吉なれど平人には良過て却って悪し故に身を慎めよと云ふ教と思いて万事を慎み信心あるべし」

 と来たもんだ。
 凡人のキッタンには、「大上吉」は過分であるというわけか。
 

 ところで、凶みくじはいうまでもなく末吉や小吉でも、自分にとってあまり好ましく内容のものは境内に置いてくるのが習い。

 この「大上吉」は、内容的に微妙なところです。
 が、「大上吉」でしかも「第一番」という組み合わせ、めったに出ないのではないか。
 おみくじ蒐集家として、貴重な資料を保存するという任務に目覚めたのはもちろんですが、これを引き当てたわが身は、内容はともかくも組み合わせという点では運が良いのにちがいないという、なんとも俗っぽい喜びに浸っていたことも、正直に告白せねばなりますまい。
 やれやれ、情けなや。

 さて、来年はいいことあるかもねえなどと、自分の人生なのにおみくじの運だめしにウカウカと期待しながら、混雑した境内を足取りも軽く歩き始めますと、若い女性がおみくじを広げて見ながら非常に喜んでいるのに出くわしました。
 そこで、ひょいと盗み見すると、なんと、彼女のおみくじも「第一番」で「大上吉」。

 むむむ。
 ――まあ、世の中ってのは、往々にしてそんなものです。
 そもそもクジ運のめっぽうキッタンが引くぐらいだから、どれだけ当たりやすいかなんてのは、ちょっと頭をひねれば分かるはずなんですがね。
 かくして、ぬか喜びのキッタンでありました。


 オマケはわが家の福福大明神にして、下町絵手紙老画伯、ママリンのこの夏の1枚。
 屋上菜園の晩生のゴーヤを描いたものです。

 うへー、ただ今13」4時57分。
 これからランチだー。
(BGMはミシェル・ポルナレフの”Le meilleur de Michel Polnareff")

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posted by ゆのじ at 13:59| Comment(0) | TrackBack(0) | 墨田区&下町歳時記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年11月30日

菜園オールスターズ130/紅葉の季節、到来

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○香りゼラニウム・ミモザの鮮やかさ

 今年は日々の寒暖差が激しいのが、紅葉にはケガの功名。
 樹種による紅葉の速度の違いが顕著になって、緑、赤、黄色、茶色と葉色のバラエティに富んだ風景が楽しめるそうですね。

 ここ屋上菜園でも、少し前から住民たちが秋の装いを競っています。

 
 そこで、屋上菜園菜園09秋冬オートクチュール・コレクションの始まり始まり〜。

 トップバッターは、香りゼラニウム・ミモザ。
 濃厚な朱色が、菜園でもダントツの注目度を誇るコスチュームで登場です。
 葉が肉厚で表面がふわっとしており、フェルトのような触感が魅力。
 しかも、ボディラインに見事に沿った美しいシルエットをご覧あれ。
 要所にステッチ(?)も施した、贅沢な仕上がりのコートになりました。

 そして、葉っぱ全員が一斉に同じ恰好をするなぞという野暮なことをしないのが、このミモザのいいところ。

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 周囲の緑の葉はどこまでも緑色に徹し、朱色のコスチュームをうまく引き立てているのですね。
 だから、遠くからでもこの朱色が非常に冴え、菜園全体の中でも際立ちます。

 「この赤は見事よねえ」とは、臨時服飾評論家、おトキさんの評。
 
 ミモザは紅葉のプロセスも必見。
 左の葉のように、外郭からゆっくりと着替えをしていきます。
 その過程のコントラストの美しさ。
 秋冬コレクションの期間中ずっと、見る者の目をそらさぬ工夫に、
 毎年のことながら、感心させられます。

 「ミモザ」なんてフランス名前をもらっているだけのことはありますね。
 

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 葉の裏側はこんな感じ。
 葉脈がひときわ赤いのが目に留まりました。
 裏にも気配り。
 にくい演出ですねえ。

 ところで。
 ミモザの暖かそうな朱色は、最初のうちはかすかにですが黄色味を含んでいます。
 しかし、やがて濃厚な色へ、そして、赤へと変わっていきます。
 そして、その赤色が臙脂色に落ち着くと、休む間もなく今度は外郭からゆっくり灰色がかって縮れてくるのです。
 
 ゆっくり、静かに、しかし絶え間なく、ミモザの葉の色は変化し続け、そしてついにある日、地面に身を横たえる。
 
 茶色くなるまで頑張って茎に残っている葉もあるけれど、まだ赤いうちに落ちてしまうものも少なくありません。
 赤いまま散った葉の多くは、背を上にして地面に伏しており、そこにも何やら美学が垣間見られるような・・・。
 (イメージ膨らませすぎか)
 
 
 ミモザの葉は、秋にはすべからく赤くなるものと思っていたのですが、部屋で水栽培しているミモザはちっとも赤らみません。
 緑の葉の下の方から淡いピンク系の薄茶色がせり上がるようにして葉を浸食、そのまま枯れてゆきます。

 紅葉には日光と気温が密接にかかわっていると言います。
 水栽培のミモザも一応は日当たり良い窓辺に置いているのですが、室温がさほど低くないので、赤くならないのでしょうかね。


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○紅葉色の宝庫、コナラ

 デリケートな色彩センスを披露するのは、コナラ。
 秋の葉のこの多様にして繊細な色遣いは、ニットの王者、ミッソーニでも真似できないのでは?

 
 夏の間、黄緑をやや白濁させたような優しい色合いをしているコナラの葉は、秋の黄色へと変わっていく、その変りかたも穏やかで、ミモザが変化の途中に強烈なコントラストを見せるのとは対照的です。

 また、葉の外郭から色変わりしていく点ではミモザと同様ですが、コナラの場合はご覧のように、葉先から葉柄に向かって、葉脈の階段を1段ずつ上っていくようにして色づいていきます。

 黄はオレンジ系の温かみのある色。
 ただし、葉1枚がすっかり色づくと、今度は寒色系の黄色へと変わっていくのです。
 そして、次に淡い黄土色、グレーがかった淡い茶色へ。

 一見、地味ながら、お色直しの回数はミモザより頻繁で、毎日、微妙に違う衣装でお目見えしてくれるので、キッタンのお気に入りの秋冬コレクションのひとつです。

(ついでにいうと、春もいいんですよ。白銀の柔らかい産毛をいっぱいにまとった若葉の愛らしいこと、気高いこと)


 余談ながら、こうして毎日見ていると、コナラの枯色は、コナラなりの”人生”があってこそ生まれるのだとつくづく思いますね。

 ミモザの深い枯色はコナラには出せないけれど、その代り、ミモザがどんなに望んでも、コナラの枯色に染まることはできないわけです。
 コナラの優しい茶色は、コナラならではの黄緑、暖かい黄色という時代を経て可能になるのですから。

 老いとは、それぞれの人生の結果であり、集大成にちがいなく。
 そう考えると、わが身の枯れ葉色を想像して怖くなりますねえ。



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○桜は来年の準備も万端

 桜というと、春のコレクションにばかり人気が集まりますが、秋のモードもセンスがありますよ。
 
 やはり、オレンジがかった温かみのある黄色。
 コナラに比べると葉たちの衣替えの足並みがそろっていて、みながほぼ一斉に色づき、黄の濃さでそれぞれの存在を主張しています。


 桜葉の色づきは先週になって急激に進みました。
 土日には日が射していたせいか、1日のうちに刻々と色が変わっていったような気がします。

 そして、ご覧のように早くも次世代が生まれています。
 ファッション・センスに加え、人生設計も着実なのですねえ、桜は。
 

○これ、なーんだ

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 光の加減で青紫にも赤紫にも見えるこの葉、何だと思いますか?

 答えはアジサイ。
 秋冬の葉っぱのモードカラーとしては、ユニークな部類に入るかもしれません。

 もっとも、今日の曇り空の下では、いっぱしに茶色っぽく見えていますが。

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 ご覧のように、葉が重なって日の当たらない部分は相変わらず鮮やかな緑色。
 
 アジサイの秋冬コレクションのポイントは、外見は地味にし、裏地で派手に遊ぶ、そんな江戸っ子のような粋な着こなしが特徴でしょう。



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 しかもですよ、冬に向かって、たいていの植物は栄養を内部に温存しようとするのに、アジサイは今もって次々と新芽を出しているのだから、なんと精力的であることか。
 
 葉の1枚1枚も生命力がありまして、夏からこっち、なかなか枯れないし、枯れてもなかなか落葉しません。
 菜園の住民の中では、隠れマッチョと呼んでもいいかも(見た目もけっこうマッチョか)。


○四葉クローバーも色変わり

 1つ1つのの生命は短いけれど、ローテーションよく、次々に出てくるグループ志向のファッション・リーダーは、こちら、四葉のクローバーです。

 
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 秋になるとめっきりパワーが落ち、いくつかの小プランターでは早くも興行終了。
 さっさと球根の中にこもってしまっている輩もいますが、「まだまだ、がんばれるわよ」とばかり、こうして色変わりして目を楽しませてくれる芸人肌もおりまして。
 葉だけでなく、茎も赤く変わります。



○ブルーベリーはひたすら赤く

 コレクションに登場させたい住民はたくさんいます。
 しかし、時間と腹具合の関係もあり(キッタンのランチタイム)、これでトリといたしましょう。

 ラストを飾るのはブルーベリーです。
 ファッションショーではマリエ(ウェディングドレス)、つまりホワイトがトリを取るのが定番ですが、わが菜園では赤に始まり、赤で終えることにいたします。
 (誰ですか、オーナーたちの「赤貧」を象徴しているんじゃないか、なんて深読みをしているのは)

  
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 中央の鮮やかな赤い葉が目を引きますね。
 これは若葉。
 ブルーベリーの若葉は赤い色で出てきます。
 春夏には、大人になるにつれてたくましい青緑になっていくのですが、夏の終わりごろから出てくる若葉が緑色に変わることはほとんどありません。
 色合いこそ大人じみて落ち着いていくものの、どういうわけかずうっと赤いままなのです。

 けれど、この赤は、菜園から少しずつ鮮やかな色が消えていく中にあってはありがたい彩り。
 寒々しい日でも、この赤があるだけで、菜園の雰囲気がずいぶんと明るく感じられるものです。

 
 おまけは東京スカイツリー。
 11月20日現在で215メートルとのことですから、今日現在はもっと伸びているのでしょうね。
 では、これはどこで撮影したのでしょう?
 分かるかな。
 
 最近は、業平橋のたもとだとか、源森橋辺りで撮影する人が増えているので、ちょっと目先を変えてみました。
 もちろん、区内ですよ。

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2009年11月17日

菜園オールスターズ129/トマト、新たな命たち

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○トマトは強し!風で落ちた実で子孫繁栄?

 そろそろプチトマトの茎が黄色くなりはじめた大プランター。
 ある日、いたずら心を起こしたキッタンが、残っていたリーフレタスとルッコラのタネをその大プランターに撒きました。
 おトキさんに「いつ、撒いたの? また、夜中でしょ?」
 と聞かれ、「ちがうわよ。今回は昼間よ」と弁明したキッタンですが、実は酔った勢いで夜中に菜園へと飛び出したのでして。


 どっさり撒いてしまったものだから、リーフレタスの双葉が1カ所にかたまってニョキニョキと出てきたのは仕方ないとして、しかし、この細長い双葉は何者ぞ。
 プランター内の数カ所で、こんなぐあいに束になって出現しているのです。

 形状認識に長けたおトキさんは、一目見るなりトマトだと断言する。
 しかし、トマトのタネなんて撒いた記憶のないキッタンは「ルッコラかなあ。マリーゴールドかもよ」などと、首をひねるばかりです。


 ところがつい先日、新たな双葉群がプランターの中央あたりに出ていたのを発見したキッタンは、おトキさんの判断の正しかったことを知ったのでした。
 というのも――

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 上の写真でわかりますか?
 そう、プチトマトの落果の中から発芽しているのですよ。


 この大プランターのプチトマト数株の人生は波瀾万丈というか。
 もともとは、このブログでも何回かご紹介しましたが、昨年撒いたのに今年までずっと土中で眠りこけていた晩生のタネ。
 それが、お隣の同型プランターをゆりかごに、わりあい順調に成長しまして、果実もよくつけてくれました。
 「寝る子は育つ」とは、どうやら植物にも当てはまるようです。

 しかし、プランターはネキリムシ軍団にいつの間にか占拠されており、気がつけばプチトマトの根は、かなり食いとられておりまして。
 どうりでぐらぐらしていたわけだ。

 まだ青いけれども果実がたくさんついてるプチトマトの株たち。
 志半ばで人生を終えさせるのはかわいそうに思えました。
 何とか、実が赤くなるまで生かしておいてやりたい。(って、結局は実をすてるのがもったいないだけじゃないか)

 そこで急きょ、隣のプランターの隙間に移植したのです(こっちにもプチトマトを少し植えておりました)。


 狭い間借り暮しをものともせず、「三年寝太郎」ならぬ「一年寝た子」たち(菜園での通称は”勝手にプチトマ子”)は再び根付いたようでした。
 植物というのは案外と逆境に強いものですねえ。

 とは言っても、今年の夏は台風やら度重なる強風やらで、菜園の住民たちには試練の連続。
 ”勝手にプチトマ子”の果実も十分に熟さぬうちに落下することたびたびでした。

 でまあ、よっぽど虫食いがひどいようなものを別とすれば、落下した果実はそのままにしておいたのです。


 話が長くなりましたが、つまりは、そうして落下した実が腐らずにいて、中のタネが発芽したというわけ。

 今年は10月から冬もどきの寒い日もありましたが、一方で、キッタンが洗濯物を干していると汗ばんできて、半そでのTシャツ1枚になるなんてな陽気の日もまだ少なくなく。
 しかも、折々に恵みの雨とくれば、発芽の好条件がそろったのかもしれません。
 
 親株たちのタネはたっぷり1年も眠っていたくせに、その子供たちはわずか数か月で世の中に出てきたのだから、おませなこと。
 しかも、写真のような群生が3か所以上あるのです。

 かわいそうなのは、それがトマトにとって適切な時期ではないということ。これからどんどん寒くなるのに、彼らが耐えられるはずもなく。
 うーん、温室を作ってやるしかないかあ。
 と、本気で考えているキッタンです(おトキさん、よろしく)。


 ついでながら。
 このプランターもネキリムシにやられておりました。
 さすがにトマトを引き抜いて熱湯攻撃による絶滅作戦を実行するわけにはいきませんんで(人命ならぬトマト命優先)、キッタンがホジホジして摘み出すという原始的な方法で対処したのですが、やがて、トマトたちの茎がどんどん黄色くなっていきまして。
 寿命であろうと今回ばかりは諦め、株たちをすべて引き抜きました。
 ネキリムシの食糧である根を断つ兵糧攻めの意味もあったのです。


 にもかかわらず、キッタンは酔った勢いでこのプランターにうっかりリーフレタスのタネを撒いてしまったのですが、驚くなかれ、実に成長がよいのですよ。
 休む間もなくいろいろなものを栽培し続けている土ですから、土自体が痩せていておかしくないのに、双葉は大きくなったし、茎もぐんぐんと伸びているし、さらには、出始めた本葉がわりにしっかりしている。
 
 もしや、ネキリムシの存在は、土に何らかの貢献をしているのでしょうか。
 気になります。




○そのほかの作物も、命、生き生き

 トマ太郎も、今になって元気を盛り返してきました。


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 夏のうちに実を付けた上半分の茎は色が変わったり先端から枯れたりしていますが、地面に近い部分が元気で、葉が青々と繁り、さらには花芽がいくつもついています。






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 こちらはピーマン。
 急な寒さの続いた時期に、育ちかけの実が大きくならないまま枯れ始めました。
 で、そろそろ終わりだろうと思っていたのですが、11月になって盛り返しまして。他にも3つぐらい花が咲いています。
 まあ、実が育つかどうかはわかりませんが。





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 イチゴ。
 今年は1年中、花を咲かせ、実をつけてくれている優良児です。
 何が原因なのか、とんとわからず。
 もっとも、夏の間は自家受粉がうまくできないのか、きちんと育たない果実も多く、ずいぶんと捨てたものです。
 あんがい、そうした摘果が功を奏して、数は少ないものの夏も美味しい果実の収穫を可能にしたのかもしれませんね。


 トマトに始まり、トマトに終わる。
 というわけで、おまけの写真もトマト。
 落下したトマ太郎を窓辺で熟させております。
 残念ながら、トマ太郎はどれも味はいま一つ。
 でも、株についているときの香りが強く、その香を嗅ぐだけで食べた気になれます。

 手前は西洋朝顔の種。
 
 さて、これから風呂掃除です。
 「ちっとも、更新してないじゃないの」とおトキさんに言われ続けてはや2週間目。
 それで、今朝は思い切って家事より先にブログに取り掛かった次第でして(どうだ! これでもう、文句は言えないだろ)。
 しかし、もうすぐ昼。
 早いですねえ。
 お電話くださったKさんにも、コールバックをと思いながら、あれこれあってご連絡できませんで。当分、おしゃべりできそうもないので、許してー。
 

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posted by ゆのじ at 11:44| Comment(1) | TrackBack(0) | 屋上菜園記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年11月04日

cinema et ca et la 9/「ラースと、その彼女」

○受け入れることの大切さ 

 さきほどはついつい空腹に負け、もっとも紹介したかった書籍『心』(ラフカディオ・ハーン・著)の話が駆け足になってしまいました。

 遅まきの昼食のあと、レンタルDVDで見た「ラースと、その彼女」がよかったので、ちょいとご報告。


 ラースという、人付き合いの苦手な青年がいて、一人でガレージに住んでいます。
 同じ敷地内の母屋に兄夫婦が暮らし、兄嫁は彼のことを心配しているのだけれど、ラースにはそれがちょっとうっとうしい。
 会社でも、だれとなく彼に女性社員とのデートを勧められるんですが、それがまた面倒で。

 ところが、そんな彼がある日、兄夫婦に女友達が来たと知らせに来ます。
 そこで二人が食事の支度をして出迎えると、なんと女友達は人形だったのです。それも、男性専用のリアル・ドール――。


 などと書けば、アブナイ話の展開を想像してもいたしかたないでしょう。
 そうでない作品だと前評判で知ってはいても、いったいどうストーリーを進めていくのか、出だしがここまで奇抜だと、尻すぼみになるのではないか、などと余計なことをあれこれ気にしながら観進めていったのですが、すぐにそれが杞憂だとわかりました。

 ハートウォーミング――普段なら使うのが気恥ずかしい言葉ではありますが、今回は、得意げに言ってしまおう。そんな作品でありました。


 なぜか。
 登場人物がみな、やさしいんです。
 これって、見ていて安心できますねえ。

 まずは女医さん。
 弟がイカレてしまったと思った兄夫婦(とりわけ兄)は、ビアンカ(人形の名前)が長旅で疲れているようだから医者に診せたほうがよいともっともな言い訳をして、翌日、彼と人形を病院に連れて行きます。

 すると、兄夫婦にとっても意外なことに、女医さんはラースの前で大真面目にビアンカを診察してあげるのです。
 そして、彼女の調子が良くないようなので、毎週、診察に連れて来てほしいと彼に言います。
 ビアンカという存在が彼自身を反映しているのだということを、彼女は早くも見抜いたわけですが、彼を病人扱いせず、無理やり治療をしようとするのでもなく、彼の心の屈託が消えるまで付き合っていこうというのです。
 
  
 
 お次は、町の人々。
 兄夫婦は教会のメンバーに弟のことを相談に行きます。
 最初は拒みかけた人も何人かいるのですが、結局、ラースをみんなで見守っていくことに同意します。
 その理由がちょっとおもしろいのですが、まあ、それは作品で楽しんでください。
 ともかく、ラースが人形を教会へ連れて来ると、生身の人間に対するように話しかけたりするのです。

 そして、会社の仲間たちも同様に。

 
   
 そうこうするうちに、ラースの抱えるトラウマのようなものが見えてくるわけです。
 たとえば、母親は彼の出産がもとで命を落としたこと。 
 父親はそれ以来、心を閉ざしがちになってしまったこと。
 それらを、ラースの心に影を落としていること。

 
 あるいは、自分一人では判断できない人生の壁。
 彼がお兄さんに「大人になるって感じたのはどんなときか」と尋ねていますが、そうした問題を簡単にクリアしてしまったり、それどころか皆が気にさえしない人間もいれば、ラースのように真剣に悩む人間もいるわけです。
 しかもラースの場合は、身近で手本となるべき父親が、多分、その役目を果たさなかったことも一因しているかもしれません。

 皆が彼にやさしいのは、ラース自身が親切でやさしく、それがために日ごろから皆が彼を好きだから。
 そして、町中が互いの顔を見知っている小さい社会だから。

 その前提が大人たちの無類の寛大なふるまいに説得力を持たせて嘘っぽくなく、うまい作り方だと感心しました。

 そうはいっても、精神的迷子の青年一人のために、町中がこぞって寛大になるなんてことは実社会ではありえない話。
 ですが、こうであったらいいと思わせるだけのリアリティを感じさせてくえるのも、この作品の長所ではないでしょうか。


 実は女医によるビアンカの初診の場面は、最初は滑稽にもバカバカしくも見えるのですが、直後に彼女の意図することが伝わってくると、ごく自然に受け止められるようになります。
 このしょっぱなでのエピソードが効果的で、のちに次々と出てくるその他の人たちの振る舞いも、大部分はほほえましく見えてくるのですね。
 これは、脚本家、監督、俳優陣の力量がそろっているからでしょうか。

 同時に、見る者も試される作品だよなあとつくづく。


 付け加えると、DVDの特典の女優、ビアンカについての関係者のコメントがよくできていて、これもお勧めです。

 さて、今度は夕飯だー。

 

  
  
posted by ゆのじ at 20:02| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画とか何とか | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

クリスティの『リスタデール――』とか、ハーンの『心』とか

○まずはA・クリスティの『リスタデール卿の謎』

 なんという急転直下の冬模様!
 そのせいで、近年とんと老化の進んだキッタンの心身は、その急な変化についていくことがでいませんで、昨日から血圧上昇気味です。
 おトキさんも昨日は絶不調で「ネキリムシ退治」どころではなく。

 そんなわけで、文化の日はキッタンにとって、久々にうれしい読書デーとなりました。

 
 神経を使わず、気楽に読めるものはないかいなと、一昨日の夜、書棚を物色して手にしたのが、アガサ・クリスティの短編集『リスタデール卿の謎』(ハヤカワ文庫/田村隆一・訳)。

 クリスティを読むのは超久々で、この短編集もいつ頃読んだのか、そもそも読んだことがあるのかさえ記憶になく。


 で、12編の短編の中では、タイトルにもなっている1篇めの「リスタデール卿の謎」が一番印象に残っていますね。

 もとは良い暮らしをしていたのに、夫が投機に失敗したために”清貧”を余儀なくされているセント・ヴィンセント夫人とその娘、息子。

 安っぽい貸し間の間代さえおぼつかなくて困っているところに、上品な屋を破格の値段で貸すと新聞広告が出ているのを目にした夫人は、恐る恐るその屋敷を訪ね、気に入ってしまいます。
 住まいもさることながら、そこにいる執事に親近感をもったのです。

 ところが、この屋敷はリスタデール卿のもちもの。
 しかも、彼は失踪してしまい、行方は杳として知れません。
 夫人の息子は裏に事件ありとほのめかしますが、結局、家賃の安さと居心地良さに惹かれ、一家はここを借りることにするのです。

 そうして、生活はすこぶる快適に営まれていく。
 わずかな家賃しか払っていないのに、きれいな花が届いたり、おいしい食事が供されたり。ふーむ、ますます怪しい。何かあるのではないか。
 そこで、息子が調査に乗り出すと・・・。

 クリスティの作品を何篇か読んだ人なら、途中で結末のおおよその見当がついてしまうというわかりやすい展開ではありますが、読んだあとで心の中に明かりがともり、人間の性善説を信じてもいいかなと、そんな気持ちになれる作品です。


 そして、他の11編もこの作品と同様に、ミステリーというよりはミステリーを味付けにしたロマンスやハッピーエンドの掌編。
 ちょっと都合よすぎる部分もあるけれど、読み終わって後味がよいという点では、良質のリキュールのごとし、でしょうかね。


 実はキッタン、若いころはクリスティーの作品が嫌いだったのです。 読み手に登場人物のほとんどを疑わせるよう仕組んでおいて、最後で足をすくうのがクリスティのやり方。
 もちろん、その手法はミステリの常とう手段ですから、他の作家も使っているわけですが、クリスティの場合は疑わせ方が顕著です。

 ですから、2,3編読むうちに、もう騙されないぞと小生意気なことを考えるようになりまして。
 そして、クリスティの鼻をを明かしてやろうとばかり、彼女が読者に疑いをもたせるような事情や人物を極力疑わないようにしながら読んだわけです。

 そうすると、全然、面白くない。
 当然でしょう、ミステリの魅力、とりわけクリスティの魅力は、小説の世界に入り込み、一緒になってわくわくドキドキする、そこにあるので、冷静に事件を分析するなんてことがしたいのなら、ミステリなぞ読まず、現実の事件を検証したほうがいいんでね。
 
 さすがに12編を続けて読むと、似通ったプロット、似通った手法が繰り返されていて飽きる部分もありますが、一気にではなく少しずつ読めば、12通りの微妙な味の違いも楽しめるかもしれません。
 
 それにしても、ここ何週間かのうちに日本で起きたいくつもの殺人事件のことを思うと、クリスティのこのミステリー短編集の世界のなんとのどかなことか。
 
 そして、つくづく思います、いったい日本人はどうしてしまったのだろうと。

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○『心――日本の内面生活の暗示と影響――』
 (岩波文庫/ラフカディオ・ハーン・著、平井呈一・訳)


 10月の終わりごろに読了したのですが、大変、面白く読んだ1冊です。

 タイトルの副題にもあるように、ハーンという外国人の目で見た明治期の日本、および日本人観で、彼が日本の情緒的な部分に好意をよせているのが伺えます。

 たとえば冒頭の「停車場で」というエッセイ。
 警察へ引かれていく途中の殺人犯人が、自分が殺害した警官の妻子と対面するというハーン自身による見聞記です。

 列車で護送されてきた罪人に付き添った警官が、駅の人ごみの中で、被害者の妻子を呼んで、わざわざ罪人と対面させる。
 しかも、警官は奥さんにではなく、まだろくに物事のわからない4歳の子供に話しかける。
 いわく、「この人が坊ちゃんのお父さんを殺した男である」と。
 すると、これに呼応して罪人が、その子に申し訳ないと涙ながらに謝るのです。

 小説仕立てであるならば、なんじゃ、このお涙ちょうだいな話はと突っ込みたくなる内容ですが、ハーンはむしろ、驚き、感心さえしている。 
 そんな風に、「自分も人の親であるという観念、どんな日本人でも、その精神のうちの大部分を占めている、わが子に対する潜在的な愛情、これに訴えて、罪人の悔悛を促したという点」が実に東洋的だというのですね。

 この一件については、彼はそれ以上突っ込んで考察をしていませんが、後に続く何篇ものエッセイの中で、こうした情緒を西欧では失ってしまっており、それが物質文明や拝金主義、一神教に原因があるといった意見を折にふれて述べています。
 今になって読めば実に警告的な内容ですが、残念なことに明治期からの日本は、ハーンの警告を無視し、彼が西欧について嫌っていた部分を積極的に吸収し続けたようですね。

   
 個人的には「前世の観念」、「先祖崇拝の思想」が興味深く。
 ハーンは神秘主義を好む傾向があったとあとがきで書いていますが、この2編では、科学的に日本人の観念を分析する試み。
 それが現代の科学を先取りしていて、ハーンの明晰さ、先見性に感心しました。


 ハーンといえば『怪談』がおなじみですね。
 クレオールを題材にした小説も書いて、これもなかなか読みがいがありますが、異国のエキゾティズムに惹かれての文筆活動かと、軽く見ていた傾向あり。

 ところが本書では、「あみだ寺の比丘尼」、「きみ子」などでは小説家の視点、「門つけ」や「旅日記から」では民族学者、社会学者の視点、というように、ハーンの内包するさまざまな才能が伝わってきます。
 こういう優秀な人材が明治期の日本を訪れていたことにも、改めて驚かされます。
 彼は日本については、「霊の日本」、「神国日本」なども記しているとのこと。時間があれば、ぜひ読んでみたいものです。

 さて、これからランチ!!
 
posted by ゆのじ at 13:50| Comment(0) | TrackBack(0) | 読書感想 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年11月02日

菜園オールスターズ128/ひたすら続く根切虫との仁義なき戦い

○毎週末はネキリとバトルのおトキさん

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 月日の流れの何と早いことか・・・と毎度のようにぼやいている気がいたします。
 実際、早いですよ。なーんにもしていないかのようなのに、気がつけばもう11月ですからねえ。

 しかし、外見上何もないような菜園には、実はいろいろありまして。

 まずはネキリムシ。
 
(余談ながら、タイトルでは漢字なのにここでカタカナを使っているのは、漢字に変換するのが面倒だから。
 雑誌のお仕事でこういうアバウトなことをやると、あとで大問題になりますが、ここではどうぞお許しを。)





 ネキリムシはずーっと、菜園の管理人たちを悩ませつづけておりまして。
 とりわけ、9月後半からこっち、ひどいもんですよ。

 たとえば、水やりの途中でキッタンの「鉢土の様子がなーんか変だな」センサーに、引っかかる鉢がある。

 で、「まさかねー」なんて軽い気持ちで植物を引っ張りますと、あのずるっといやな手ごたえとともに、植物が根から抜けてくる。

 そこで、念のために土をホジホジすると、濃茶色の土の間に現れるのです。

 クリスタルのように輝かしい透明さで、超薄型ビニールのようにしなやかに表面を波打たせたボディーや、ややクリーム色に変色した恐ろしいほどたくましいボディーが。

 もう見慣れているはずなのに、これが土の間から姿を見せた瞬間のおののきといったらありません。
 植物への同情もさることながら、これから繰り広げなければばらないバトルのことを思って。


 しかし、ここ2か月ほどのキッタンは、取材と原稿書きで平日、土日ともにネキリムシとのバトルは延期状態。
 そこで、おトキさんがウィークエンドの休日をすべて、ネキリムシとの果てしなき戦いに当てることになったのでして。

 
 週日は勤務先でこき使われ、金曜日の夜には文字通り体力気力が尽きかかったおトキさんは(まあ、年のせいもあるけどね)、せめて週末は菜園で草花に癒されたいと思っている。

 ところが、菜園で待っているのは癒しではなく壮絶なバトルです。
 しかも、土日でどうにか片づけたと思えば、翌週末にはまたまた、ネキリムシの餌食となった鉢やプランターがいくつも出てきている。

 そのうえ、最近、脳みそスカスカ状態のキッタンは、1600文字程度の原稿書きにうんうんと唸ってばかりで、さっぱりバトルに参加してくれない。


 そんなこんなで、おトキさんは、夏から秋の間、麦藁帽子にタオルで頬かむり(日焼け予防のため)、ある日は強烈な日射にやられ、あるときは無理な姿勢での戦いに坐骨神経痛を発症しつつも、右手にはネキリムシを摘み出す箸を持ち、何百匹もひたすら退治をし続けたのでした。 
 そして、昨年だったら10月の終わりには片付いていたはずのネキリムシ退治が、これからしばらくは続きそうだと知ったおトキさんは、ついに「いったい、私たちは何のために菜園をやって0いるのかしらね」」とぼやいたものです。


○ネキリは大豆が好きらしい

 ネキリムシが、なぜこの菜園に異常発生しているのか。
 おトキさんが調べたところによると、どうやら、枝豆を植えているのが原因ではないかと。
 というのは、ネキリは大豆を好むらしいのです。

 屋上菜園では、昨年にも増して枝豆の栽培に精を出し、大プランターで3つ、それ以外にも残りのタネをあちこちに撒くというようなことをしておりましたから、ネキリの親のコガネムシたちは、一族繁栄に願ってもない場所を見つけたと大喜びしたに違いありません。

 キッタンには、緑がかった金色の背中を太陽の光に輝かせながら小躍りしているコガネムシ一家の姿が目に浮かんできます。
 
 

 事実、枝豆の大プランターもネキリの根城と化しており、とりわけ、丹波黒豆がやられていました。
 
 それなら、大豆を作るのを諦めようか。
 「冗談じゃない。私は来年も作りますからね!」とおトキさんが声も高らかに宣言いたしまして。
 それで、来年に向けての対策を考えることにいたしました。


○ニーム液と熱湯地獄 

 予防対策としては、ニームの葉を煮出した液を土に混ぜる方法をとりました。
 ニームはご存じの方も多いことでしょう、植物の成長開花などの促進効果があるとして、肥料や栄養剤などに配合されていますね。
 おトキさんが調べたところ、防虫効果もあるとのこと。

 それで、まずはニームの鉢を購入。
 その枯れ葉を集めて煮出した液を10倍程度に薄め、ネキリムシとのかつての戦場、つまり退治を終えた土に噴霧して混ぜ込みました。


 一方、多勢に無勢の余り、戦い半ばで放棄していた戦場、および、新たに敵を発見した鉢には、熱湯をかけるという強硬手段に出ました。
 それというのも、10月後半から現れるネキリムシは、非常に小さいものが増えまして、外見は透明ながら中がほとんど土色なので、土と同化してしまい、見つけにくいのです。
 
 思うに、これらは今年育ったものではなく、秋になって孵化したものではないでしょうか。
 そして、冬ごもりのあと来年の春ごろから、根を食い荒らす兇徒へと成長していくのではないでしょうか。

 ということは、まだ孵っていない卵が土中深く眠っていることも考えられます。

 彼らも含め、ネキリムシ一家を一網打尽にするには、熱湯で攻める方法がベターである――とおトキさんがインターネットで調べをつけました。
 それで、残酷ではありますが、熱湯で責めることにしたのです。

 ニーム液も熱湯地獄も、現状での効果はわかりませんで、来年のネキリムシの出没度で判断するしかありません。

 それに、ネキリムシとの今年の戦いはまだ幕を閉じたわけではなく、数鉢には敵が潜んでいることがすでに判明しております。
 明日が晴れか曇りなら、決戦の火ぶたが切られることでしょう。
 もちろん、そのときはキッタンも参加。割りばし二刀流の実力をいかんなく発揮し、かつ熱湯攻めの先陣もつとめる覚悟(って、大河ドラマじゃないのに)。

 とはいえ、このバトル、菜園を続ける限りは避けるととができないのでしょうか。
 さすがに殺生しすぎているんじゃないかと、後ろめたくてねえ。




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○ネキリだけじゃない、菜園の天敵

 ”勝手にプチトマ子”の果実に、太めのキリで刺したような深い穴があいているのをときどき見つけます。

 どんな奴の仕業だろうと気になっていたのですが、先日、ついに犯人を現行犯でしょっ引きました。
 おデブな青虫でした。

 ひとつの実を食らい尽くしてくれるのなら、たまには大目に見てやってもいいかなんて思うのですが、どの実も1か所以上は穴が開いていることはありません。
 
 食い散らかしは許せない!
 かくして、この青虫にはあの世へ逝ってもらいました。
 ああ、また殺生しちまったなあ。


○お口直しにパインセージ

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 10月の後半から、花がたくさん付きはじめたのが、このパインセージ。
 葉に触りますと、名前のごとくパイナップルの香りがいたします。
 わが菜園にはパインミントもありますが、それよりももっと甘くやわらかな香りで心地よく、イライラしているようなときでも、この香りをかぐと、気持ちがなごんでまいります。


 最後のおまけはゼラニウムの花。
 日差しを浴びた花びらは、ラメ入りのルージュのようで、実に美しく。
 しかし、ゼラニウムはネキリの餌食になりやすいんですよねえ。
 
 
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posted by ゆのじ at 14:07| Comment(0) | TrackBack(0) | 屋上菜園記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年10月22日

地デジのアンテナ、どうしてますか?

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○どうすりゃいいのか、地デジのアンテナ

 大変オマヌケな話ですが、ちーと困っておりまして。
 地デジのアンテナをどうするかってことなんです。

 母屋にある両親の茶の間のテレビが壊れまして。
 購入して5、6年。そんな程度で寿命がくるのかと、最近の電気機器のひ弱さに呆れるばかりでありますが、それはさて置き。

 
 どうせ地デジ対応のテレビを買うのなら、この機会に地デジを見る環境も整えたいと思うものですよね。

 ところで、この家は大ざっぱに言うと3階戸建ですが、お隣にドーンと12階建てのマンションが建っており、これが、昔からこの界隈に住む家々のテレビ電波の受信障害を引き起すため、当家も含めた数軒が、マンションからアンテナの分配を受けている状況なのですね。
 
 
 で、まず、このアンテナが地デジに対応しているのかどうかという問題があります(すでにマンション内で地デジ対応のテレビを使用している住民がいるから、アンテナもそれに対応しているのではないかとの憶測が界隈を駆け巡っている)。

 対応していない場合、自前で立てるべきなのか、電波障害を事前に考慮して、アンテナを分配してもらうべきなのかという問題もある。
 その場合、こういうご時世だから、どんな企業も経費削減にやっきになっているはずで、はたしてマンションの管理会社がどう出てくるかという問題もある。
 

 地デジ用アンテナについてインターネットで調べてみますと、必要な機器、立てる場合の方角などについての簡単な図と解説、さらには高層ビルの有無などの状況によって電波の届き具合が異なるので見えにくい場合もある、といった添え書きまではあるのですが、具体的に、処処の事情を抱えた家の場合はどうすればいいのかまでには、当然とはいえ踏み込んでいません。
 ですから、わかったようでわからない。
 総務省のサイトでもあいまいです。
 
 そこで、総務省のサイトに記載されていたお客様用の窓口に電話をして尋ねました。


○総務省は教えてくれない

 電話しますと、
「ナビダイヤル、担当××でございます」と女性。
 へええ、今では官庁のお客様窓口も家電メーカーのサポートセンターと同じようなことを言うようになったかと、一瞬はおもしろく思いました。が、いや、待てよ。
 ってことは、この窓口は外郭団体とか企業とかに委託されてるってこととだよなあ。

 さて。
 隣に高い建物があるがアンテナを自前で立てて地デジが見られるかどうかを単刀直入に聞くと、「そうですねえ。お隣がそういうことですと、ちょっと、どうでしょうか」というような返事でした。

 ところで、この窓口の特徴は、積極的かつ具体的に地デジアンテナの立て方を説明をしてくれるのではなく、こちらが尋ねた問いに対して、一般的なことを答えてくれる点にあるでしょう。

 電波障害の問題がありアンテナが分配されているので、地デジ用も隣から分配してもらったほうが電波の受信が確実なのかどうかを尋ねますと、そういう方法もあると言葉を濁したうえで、その場合には、マンションに強制できる法律がないので、あくまで話し合いをしていただいて、といった説明をしてくれました。しかし、これって新設というよりも、総務省はそういう問題には関与しないので、勝手にやってちょうだいね、と言っているように聞こえません?
 
 さらに、では、マンションで断られた場合はどうすればいいのか、自前で立ててどれだけ受信できるのか、どうすれば自前のアンテナで確実に見られるようになるのかと尋ねると、確実に受信できるかどうかは周囲の状況で異なるので、まずは最寄の電気屋さんなどで、どの程度の電波がキャッチできるか調べていただくのがよいかと・・・と、何とも他人任せな回答。

    
 テレビでは毎日のようにあちこちのチャンネルで地デジ化を喧伝するスポットCFが流れていますし、「詳しくは総務省にお問い合わせを」的な添え書きもあるから、総務省に問い合わせさえすれば、すっきり明解な回答が得られると考えていたのですよ。
 こちらの住所等を確認したうえで、その周辺は大まかにこういう電波状況になっていますよとか、お宅の状況から推して、AタイプとBタイプの方法があります的な、より精度の高いアドバイスをもらえるものと思っていたのです。
 なのに、アドバイスどころか、ますます疑問増大。
 これでは不安さえ募ってしまいます。

 でももちろん、電話窓口の担当者が悪いのではなく、多分、総務省がそういう回答でこと足らせているのでしょう。

 全国に何千万世帯とあり、その1軒1軒に合う個別の情報を提供するのが難しいことはよーくわかっています。
 でも、だからこそ、みなが知りたいのも、実は「ウチは大丈夫なの?」「ウチはどうすればいいの?」という個別の状況に対する回答なのではないのでしょうかね。

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○マンションからは分配打ち切り

 次に、隣のマンションの管理会社に電話で問い合わせました。
 すると担当者から、
 業者に周辺の調査をしてもらったところ地デジの電波には隣のマンションは影響しないと結果が出たので、地デジの受信は各お宅でしていただくことになった旨、年内に連絡するつもりであった、
 と言われまして。

 「でも、総務省に問い合わせたら、隣に高いビルがある場合はちょっと、とのことでしたけど?」と申しますと、担当者は「え? そうですか?」とほんのわずかに躊躇し(たようにキッタンには感じられた)、しかし、すぐに「でも、うちの業者は大丈夫だと言っています。ちゃんと、アンテナも立てて試しています」と付け加えました。
 こっちが「本当に家で立てれば見ることができるという結果がでいるんですね」と重ねて尋ねますと、担当者は自信たっぷりに「はい。そういう結果が出ています」
 
 自前でアンテナを立ててみて電波障害が生じた場合にはご相談してもよいかと問えば、担当者は明るくさわやかな口調で、分配終了のお知らせを配布する際には、新たな担当者名や連絡先も載せておくので、そちらにご連絡いただけますとの説明で、キッタンはさらに突っ込んであれこれ尋ねるための具体的なデータを用意していなかったことを悔やみつつ、そのまま電話を置いた次第です。

 それにしても、地元からあれこれ言われぬ前に、さっさと打つ手を考えているのだから、驚き。別な意味で感心しましたね。


○結局、どうすりゃいいのかね

 この問題だけに掛かりきりになっているわけにもいかず、テレビが壊れて2週間近くたった今も、地デジ・アンテナをどうするかについての結論が出ておりません。

 現実にはそんなに難しく考えることではなくて、テレビを買いに行って、ついでにアンテナ工事もお願いしちゃえば、あっさり片付く問題なのかもしれず。
 でも、それで済ましてしまうのもなんだか気持わるいんですよねえ。
 
 大手ディベロッパーや不動産会社が手掛けたマンション、住宅に住めば、何の苦労もなく地デジへと移行ができるのでしょう。
 が、キッタンの周囲のように、古い小さな家やアパートで細々と生活している人たちは、テレビひとつ見るのに、何やかやと頭を悩ませ、面倒な手続きをあれこれ踏まなければならないわけで。
 なぜ、こういう煩雑な手続きを、政府や総務省はは庶民に強いるのかなあと、ついつい文句を言いたくなるのですねえ。
 もっとも、政府といっても、前政権が決めたことですがね。
(地デジ化でおいしい汁を吸ったのは、誰なんでしょうね)
 

 余談ながら、キッタンの仕事場に10年ほど使ってきた14インチのオンボロなテレビがありまして、こんなものでも一時しのぎにはなるだろうと、両親の茶の間に貸出しました。
 結果、仕事部場にテレビがなくなったら、これが思いのほか快適で。

 テレビがあると、仕事中もつけっぱなしの「ながら族」。
 どうでもいいような番組も、ついつい見てしまいます。
 そして、だらだらと流されて、主体性なく時間を過ごしてしまっていたようです。
 しかし、テレビがなければ当然ながら読書も進むし、聴きたい音楽にも積極的に耳を傾けるようになる。仕事にも集中できる。
 なーんだ、テレビがない方がいいじゃないかと。

 では、お仕事。



 
 
  
 

 
posted by ゆのじ at 15:43| Comment(0) | TrackBack(0) | おしゃべり雑記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年10月15日

菜園オールスターズ127 /秋でも頑張るトマトたち

●まずは今朝の来訪者たちから

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 久々に、朝から晴れ晴れとした青空。

 気持ちいいなあと思いながら菜園に出ましたら、お客さんが来てました。アゲハチョウです。
 葉や花にばかり止まるのかと思っていたらそうでもないようで、ベビー・ジョウロの先でまず一休み。

 それから、あっちへヒラヒラ、こっちへヒラヒラとさ迷ったあげく、かんきつ類の葉に落ち着きました。
 (レモンだっけか、みかんだっけか。何年も前に、食べ残りの種を植えたら、のろのろと育っておりまして。でも、何を植えたか忘れてしまった。やれやれ、トシだなあ)



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 アゲハチョウというのは非常に警戒が強く、ほんの少し距離を縮めただけでも、今いたその場から離れてしまいます。

 ところが、この夏訪れたアゲハチョウたちはどれも不思議と人懐っこいんですねえ。
 葉に止まっているところへ近づいていくと、捕らわれまいとするのかすぐに飛び立ちはしますが、遠くへ逃げ去ることはなく、つかず離れずの適度な距離で、キッタンの回りをゆっくりヒラヒラと飛んでいるのです。
 しかも、キッタンが動けば、それについて来るという具合で。

 いつだったかは、おトキさんとキッタンがアゲハチョウをいくら追い払っても菜園から出て行かず、2人の周囲を遠巻きにくっついて来たことがありました。
 「誰の化身なんだろうね」とおトキさん。
 「え?」
 「だって、蝶って誰かの魂だって言うじゃない? 誰かの魂が人恋しがって、蝶に姿を変えてやって来るんだって」
 そういえば、そんな話を聞いたことあるなあ。

 「誰が私たちに会いに来てくれたんだろうね、このアゲハチョウになって」
 「うーん。おばあちゃんかなあ。今年もおばあちゃんの墓参りに行っていないからなあ」

 今日のアゲハチョウは、誰の化身なのでしょうね。


 
 来訪者はまだいますよ。
 こちらは雀のスーちゃんたち。

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ここ数日は、朝っぱらからスーちゃんたちがよくさえずっておりまして。
 秋だなあとつくづく感じるのは、スーちゃんたちがよく肥えてきていること。
 最近、ついつい食が進んでいるキッタンとしては、彼らを見るたびに自戒するのですが・・・





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●台風を乗り越えたトマ太郎

 先週の台風はヒドかったですね。
 菜園中を荒らしまわり、3階のイチゴ棚のイチゴの鉢は3分の2も落下。
 プラスティックの鉢がすっぽ抜けてしまっていたものも少なくありませんで。
 それに、ほとんどの植物では、葉の周囲が茶色く変色していました。 そんな中で、台風にメゲず、がんばってくれたのがトマ太郎の果実。
 5個すべてが残りました。
 辛い思いをしたんでしょうか、妙に”筋肉質”ですが、マイペースを崩すこともなく、ゆっくり大きくなっています。


●野イチゴも地道に

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 われらが屋上菜園で、万年果物屋さんと化しているのが野イチゴ。
 せっせと実をつけてくれています。
 前に書いたかもしれませんが、イチゴもずーーっと花がついていまして、8月ごろまでは、来春の収穫にさし障らぬようにと切り落としていたのですが、あまりによく咲くので、ついにそのまま放ってしまいまして。
 ところが、先日、3個収穫して2個をおトキさんと味見したら、これが美味しいんです。
 やや酸味が勝っているけど、味は濃厚。思わず二人で顔を見合わせ、「夏でも美味しいんだ」と驚いたのでした。

 しかし、売れっ子タレントさんみたいに休みなく花を咲かせていたのでは、過労で来春は力尽きてしまうんじゃないと心配。




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 おまけは、今朝のスカイツリーです。
 いやあ、伸びた。










 
 

posted by ゆのじ at 14:56| Comment(0) | TrackBack(0) | 屋上菜園記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする