「謎の」ってのはちーと、いえ、かなり大袈裟ですかな。
まあ、暇つぶしに一席。
一昨日の午前中でしたか、それとも午後の早い時間でしたか、キッタンが仕事をしていますと、母屋の老ママリンから「大変よ。ウチの店先にサンマが置いてあったの。ちょっと見に来てよ」との電話。
置いてあったと言ったって、「ネズミ小僧次郎吉」のような義賊がこの家のビンボーぶりに同情して小判代わりに投げ込んだはずもなく、届け主の大かたの見当はつきます。
それで、キッタンはそのまま仕事を続け、10分ほどして区切りの良いところで母屋に降りていきました。
台所の流しにところ狭しと横たわるサンマの群れを見て、キッタンは驚きました。
体長が長く、身は厚く、表皮の青と銀色の感動的な鮮やさ。
まるで、たった今、海から上がったばかりといったイキの良さです。
ママリンが「見て!見て!」と電話の向こうで興奮していた理由も頷けようというもの。
しかも、それが8尾もあるのだから、ますますびっくりです。
「どこにあったのよ」
キッタンがママリンに尋ねますと、何かにつけて言葉よりも手振り身振りが優先するママリンは、「あそこ」と指さしながらキッタンを店先のほうへ連れて行きました。
現在では正面玄関となっている店構えのガラス戸のすぐ内側に、保冷袋に入って置かれていたのだそうです。
「誰かしらね」とキッタンが聞けば、
「オバちゃんよ」とママリン。「いつもそうじゃない?」
オバちゃんとは、隣のマンションにご主人、息子さんと住んでいる70歳そこそこのオバさんのこと。
何年か前に脳梗塞を患って足と手にやや後遺症が残ったため、そのリハビリを兼ねて、1日に何度も近所をゆっくりと歩くのを日課にしていまして、ママリンもおトキさんもキッタンも、顔を合わせれば挨拶をしたり、ときにおしゃべりをする間柄であります。
このオバちゃんは、故郷から南瓜が届いた、スイカが届いたといってはおすそわけをしてくださるんですが、おもしろいのは、「玄関先」(といっても家の中ですが)に名も記さず置いていってしまうこと。
いつだったかは、マグロの”短冊”が置いてあったそうで。
そういうわけで、たぶん、オバちゃんからの届け物だろうと98%信じ、2%ぐらいは「ホントにそうかいな」といった疑いを抱きつつ、しかし、ありがたく頂いたのでした。
これが、美味しいこと、美味しいこと。
今年はサンマが豊漁らしく、8月のうちからかなりイキのいいのが出てまして、キッタンのところでも焼き魚でも刺身でも、すでに食べておりますが、巷で買ったサンマとは比べモノにならないくらい身がついていて、脂はのっているんだけど生臭くないんですね。
それに、身持ちがいい。
焼き魚の場合は塩をしたので焼き崩れしなかったのかもしれませんが、昨晩、サンマを味噌煮にしたときも、ほとんど煮崩れしていないんですね。
その上、火が通ってなお、新鮮感が失われていないんだからすごい。
おかげで、「魚の脂にもたれるから、夕食で魚料理はパス」と常々言っているおトキさんも、ばくばくと6切れも食べてしましました。
○やっぱりオバちゃんだった
さて、すっかり平らげたのはいいけれど、ホントにオバちゃんがくれたんだろうか。
ママリンにもキッタンにも一抹の不安は残っております。
どうにも、サンマの骨がのどに刺さったまま取れないでいるようなもどかしい気分で。
ところが、不思議なもので、ふだんなら1日のうちに朝か夕方には、ママリン、おトキさん、キッタンの誰かがオバちゃんの散歩に出くわすのに、このときに限って、誰もが彼女とぜんぜん会わないのです。
それで、昨朝などはオバちゃんの朝イチの散歩のころを見計らって、キッタンが母屋の植木鉢の水遣りに行ったのですが、オバちゃんが現れません。
おトキさんの出勤時刻にはオバちゃんの2回目の散歩が始まるので、おトキさんが心して家を出たのですが、やはり出会わず。
それ以降もママリン、キッタンがそれぞれ気にかけていたのに、オバちゃんの散歩時間が微妙にずれたのか、こちらが時間の読みを誤ったのか、一度も会うことがありませんでした。
そんなこともあり、今朝もキッタンが早い時間(といっても8時頃)に母屋の植木鉢の水やりに出ますと、「オハヨー」と背後で声がしまして。
振り返ると、オバちゃんが早くもその日1回目の散歩から戻ってきたところでした。
いつものように、こちらの作業の邪魔しないようにと少し離れたところに立ち止まっています。
キッタン、もちろんすぐにオバちゃんに駆け寄りまして、
「おはよー!」
そして、「サンマをくれたの、もしかして、オバちゃん?」
と尋ねますと、「ああ、そうだよ」
何でも、宮古のサンマなんだそうな。
故郷の知り合いが目黒にサンマを降ろしに来たついでに、オバちゃんのところに寄って置いていったとのこと。
「あんたのママがいるかなっと思って声をかけたんだけどネ、誰もいないみたいだったからぁ」
と、むしろ申し訳なさそうに話してくれました。
これでようやく、心に刺さったサンマの骨が取れました。
大急ぎでママリンを呼んで、二人してお礼を述べ、「謎のサンマ事件」は一件落着となったのでした。
○身元を明かすのが下町っ子、
控え目なのが岩手っ子?
ところで、この一件でおもしろいなあと感じたことがありまして。
下町というのは物々交換の盛んなところで、とりわけキッタンの住む界隈は、旅行したからと言ってはお土産が届き、美味しいお菓子があったからと言ってはわざわざ買ってきてくれ、はたまた、母がちょいと風邪でふせったと聞けば、代わりに買い物をしてきたよと野菜が来たり、お惣菜をもってきてくれたり。
母屋にもらい物の絶えることがありません。
多分、下町の人っていうのは、そういうことが好きなのでしょうね。
ママリンなぞも、出身は北海道で江戸っ子ではなくエゾっ子なんですが、すっかりこの気風に染まっておりまして、旅行なんぞに出かけていくと、ごっそりとお土産を買ってきて、ご近所や仲良しさんたちに配って歩きます。まあ、それを口実にあちこちでおしゃべりしてくるのも楽しみのようですが。
おトキさんもキッタンも、若い頃はこれが鬱陶しく、「欲しくもないものをもらっても、有難迷惑ってものよね」なんて生意気なことをぬかしていたのですが、初老の域に入って、なるほど、こういう気使いの仕方も悪くはないよなあと思えるようになりまして。
そうなれば、頂いたものもありがたく美味しくいただけるというわけで、最近ではキッタンも「今度、取材でどこかに出かけたら○○さんのお土産を買ってこようかな」とだいぶこの気風に染まっております。
(そのせいで、編集者やカメラマンには、キッタンは買い物大好きおばさんだと思われているらしく)
さて、おもしろいと感じたのはそれもさることながら、物々交換のしかた。
ママリンがいないようなら、「勝手知ったる」で玄関のところに届け物を置いていく。
これはご近所さんや違う町内にいる仲良しさんもオバちゃんと同じですが、ご近所さんたちの場合は、あとで電話が来ます。「○○を届けたのあたし」ってわけ。
ただし、何も自分の手柄を吹き込もうなんてことではなく、ちゃんと無事に相手が受け取ったかどうかを確認するためであり、不審物でないことを伝えるためなのですね。
いっぽう、岩手県出身で、昔からこの地にいるわけではないオバちゃんは、置きっぱなしで連絡なし。
でも、それは面倒がっているからではありません。
母屋の電話番号を知らないのも理由ですが、それよりむしろ、相手に恩着せがましく感じさせない配慮のゆえではないかという気がいたします。
少なくとも、オバちゃんと話しているとそういう印象を受けます。
サンマの一件にしても、キッタンが「美味しかったよ!」と言うと、途端にはにかんだような表情をして、「いや、大したものじゃないんだよ」と繰り返します。
さらに「食べてくれてありがとうね」としきりと言うのです。お礼を延べなきゃいけないのは貰ったこちらなのに。
下町的なやり取りに慣れてきたママリンやキッタンは、最初のうちはオバちゃんのやり方に当惑することもありました。
いったい、どういうつもりで黙って置いていくのか、測りかねたからです。
が、慣れてみれば、それもまたよし。
というか、善意から出た行為であれば、方法論はどうでもいいんだよなあと、キッタン、つくづく感じている次第です。
おまけは、8月下旬に源森橋から撮った東京スカイツリーです。
このところ、工事が調子づいているのか、作業のお尻を叩かれているのか、ぐいぐい伸びておりまして、おトキさんの話では、年末までに1か月で4mの割合で”成長”していくらしいとか。
屋上菜園からも見えているこのスカイツリー、ほんの数か月前は50ミリで撮影しても全部が収まったのに、今では菜園の端まで退いても、全景が収まらなくなりました。
完成の暁には、いったいどんな眺めになるのやら。
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